chapt. 4




 どこかでお会いしましたか? と子どもに聞くのも何だか、と思い、口にはしなかった。そもそも子どもの知り合いなんていない。従弟も甥っ子もいない。どこかで会ったような気がするという感じが、きっと子どもにはわからないだろうから、わかったとしても大人のそれとはかなり違うだろうから、聞いても無駄だろう。
 だからというわけでもないけれど、わたしの代わりにその子の方から、
「おもいでって、なに?」
 と聞いた。それで、わたしが答える側になった。

 このバイトに応募したときには、こんなことになるなんて思いもしなかった。子どもはみんな、おもいでのことをわたしに尋ねる。わたしに。ほぼ正面に顔と顔が向かい合う位置で、言いよどみ、わたしが目をそらしたから、その子は追いかけるようにわたしの顔を覗き込むようにした。
「おもい?」
 と聞こえた。「おもいで」と繰り返えそうとして、語尾が途切れたのか。
「重かあない」
 殺した子どもを背負った男は、背中から子どもに、
「今に重くなるよ」
 と返される。漱石『夢十夜』にある、第三夜の夢の話だ。
 前の通りを過ぎる車の音が遠ざかり、タイヤが砂を踏む音が波の音のように響いた。

 去年の夏でも、その前でもない、わたしにとって夏は一度きりのものだった。
「重かあない」
 とわたしも言ってみた。忘れられなくとも、潰されないでいられるようになれるかもしれない。
「えっ?」
 とその子が聞き返した。
 思い出には、匂いがあり、温度があり、思い出は、湿度をともない、音を発する。わたしの内部と外部を反転させ、ここではないそこにわたしを存在させる。これから起こる全ての出来事を交換するに値する一瞬があることをわたしは知っている。そしてそれが決してかなわないことも知っている。
 思い出が苦しいのは、それがもう手に入らないからなんだろう。そういうものをわたしは持っている。この子は、そういうものを持っているか? 思い出して、手のひらで転がすみたいに、ガラス玉をしゃぶるみたいに、そのことを考える。考えるしかできない。その甘さ、苦さを何かにたとえることができるか?

 その子が両手で受けとった用紙の端をわたしはまだつまんだまま離さないで、わたしから見たら逆さまになっている用紙の枠の内側を見つめていた。わたしの二つの目から映写されるなつのおもいでを映し出してしまう。それはもちろんわたしにしか見えないし、わたしの胸にしか響かない。

 わたしが見つめている用紙を、そこに何かが見えると思ったのか、同じようにしばらく眺めていたその子は、自分の発した質問に結局こいつは答えられないのだ、と見切りをつけ、わたしが手を離さない用紙についても、自分には必要ない、と判断したのか、何も言わないでテーブルの上に突き返した。用紙には、「なつのおもいで」と左上に書かれていて、その横に、「なまえ」を書く欄がもうけてあって、角を丸くしたおもいでを描くエリアが紙いっぱいに示してある。

 さよなら、も言わなかった。わたしも、ありがとうございました、を言い忘れていた。日差しの眩しい通りを、白い背中を光らせて、駆けて渡っていった。

(了)